学校生活は大人になる準備ではない、子供時代も人生であるとお話されていたことがとても印象深く…大人の都合で子供に悪影響を及ぼしてはいけないと痛感しました。いつも子供の幸せを考えられるようにしたい。
番組に適したコメントかどうかは失礼致しますが、お許しください。 3歳から5歳くらいにかけての思い出が鮮明に残っています。この時期 よくお爺さんと朝ごはんを食べたあと昼過ぎまで散歩をして 必ず途中、お寺の近くの田舎によくある、なんでも売ってるお店、そこでベンチに座りジュースとお菓子を買って休憩してました。そこで聞いた、お爺さんとの会話を、なんとなくではありますが鮮明に覚えています。その後祖父が亡くなり、しばらく自分と言う意識が遠くにあるような感覚で、その5歳ごろから今まで生きていたような気がします、正直言って記憶が薄れています、今思えば、それは、何か自分がもしくは自分達が何かを壊して来たから記憶が薄れて来たとも思える期間であったと考えられます。 それから何十年か後にお袋からお爺さんの話しを聞くようになった時、あの時、3歳から5歳にかけて、お爺さんが話してくれた事を思い出し合致し始めた(そこそこ形になった)瞬間から、今の自分が存在している事に改めて気が付いた気がします、その瞬間からまた、新たに自分というものが動き出した感覚が、以前先生の動画で見た、生まれて初めて自分というものに感じた瞬間にも似ている。 自分達が壊して来たものは何であるか?もしかして宝ものかもしれない物を壊したんだと言う事を 今からでも遅くないから拾い集めて、紛い物しかできないかも知れないが、しっかりと磨き直せば少々は使い勝手の良い歴史かもしれないと言う事を含めて つまりメンテナンスして行かないといけないところまで来てしまっている事を考えるところまで、行き着いてしまったのかも知れません、それは社会全体としても。僕の好きな人の表現を借りれば『森の中を一人歩いていて 一斉に鳥達が飛びたつ瞬間 ふと、我に戻る「発狂するか しないか、ヒヨドリの声一つ」』だと。
現代人は、代価を払って自然に触れ、ものを習得したりする昨今…頭では図れない物差しを持っている自然と楽しめる子供は天才、その芽を摘まないように環境を作ってあげたいものです。②も楽しみにしております。
先生のお話はとても貴重ですね、有難いです。
養老先生の仰られる様に児童は「フリースクール」で十分だと思います(知恵を育むという意味合いから)。今の学校教育・進学塾にせよ、その教えは読み書き算術によるものとしか思えず、何れ社会に巣立つ時は外交的会話が必要となりますが、それは何時しかオベンチャラ・嘘・偽り・おだて方、表面上の取り繕いが上手くなるだけのことであって、物事の本質・本筋を読み取る能力が衰えていくようにも思えます。要は知識だけを詰め込むようで、その詰め込まれた知識を解析する能力が育たないということです。「知識はあれど知恵出でず」ということで御座いましょうか・・。機械・ロボット的に育てるにはそれで宜しいのでしょうが・・😢悲しい😢💦ものです教育者自体がマニュアルでしか作動しない、出来ない機械のように思えてなりませんので・・「想定外」が流行言葉となる世の中なんですねぇ~😥
“もういいかな”と言った子ども…先の希望が何も見えないなんてこころが病んでるように思えました。教育というより発育の段階の環境かな。
全て納得!万能の教育は無いし、物の様にベルトコンベヤに乗せてコースを進んで行くのではなく、その時その時に子供たちのこころに残る幸せを少しでも与えて行かれたら!!
1963年生まれですけど家の手伝いをしろ、と言われて育ちました。勉強しろ、と言われたのは一度だけ。電気はありましたが、ガスも水道もない生活も経験しました。水は井戸、薪ではなく海沿いの松林にリヤカーをひいて松葉などを拾いに行き、五右衛門風呂を沸かしました。小1でした。ガスとお釜でご飯を炊くより、火を燃やす方が好きでしたし今もそうです。が、七輪で魚を焼いたら、この辺りでは叱られそうでできません。農家出身の両親は子どもは労働力で、高校を出たら親の面倒をみるものだと無思考に思い込んでいました。それでもまぁ単身上京し国立大を出ました。楽しく楽に日々生きられるように考え中。
小さい子はハッピーでいればいいんですよ不機嫌なら大人が満足させてやればいい。小さい子を満足させるなんて大人にはなんてことないんだから。本当にそう思います。3歳でも5歳でも人生。大人になる途中ではない、肝に銘じて子供に向き合っていきたいです。
子供を勉強があるからというより色々雑用をやらせたら良い、家事も進んでやらせるのも子供が苛められても目標があって良い、子供のこころは笑わせる風刺等を身に付けさせる事も大人の役目。
先生は 知識豊富で素晴らしい。説得力もある。😃
子供は趣味ですら辿っていくと、環境因子である親の顔をうかがってますね。「パパが喜んでくれるから」と親戚の子供から聴いた時は言葉に詰まりました。その子は、パパの趣味とは別に昆虫から水生生物全般の飼育が好きなうえに正確に個体と特徴を覚えており博学で自分の世界を持っているのですが、皆がこうマルチタスクではないでしょう。難しい時代です。
親の顔色をうかがうは、今に始まったわけでもないように思います。言葉にする昨今の子供の方が少し厄介かもしれませんね。
塾で受験勉強教えていた時、そこかしら矛盾を感じる。即席の知識を短時間で教える日本の教育を!
しちりんでご飯を炊くのがわたしの仕事でした。薪割り、火吹き竹、懐かしい。
養老先生のおっしゃるように、虫とりは身体運動の要素がいろいろ入っているからいいかも! 虫とりオリンピックとか。笑
書籍購入しましたね何度も読んでいますいつも、そうなんですが、、、どうしてそうなるのかよくわからないんですが(笑)先生の本は何度も読みたくなります。有難いです。
ワタシの場合…主にムシはムシでもヒッツキムシ専門でしたねオナモミ、コセンダングサ、アレチヌスビトハギ…今思えば…彼らと共に遊んでいたんだと思うんですよね…全身ヒッツキムシに寄生された状態で家に帰って…玄関で、服についたヒッツキムシを一つ一つ剥がすのが、落ち着きのない子供には非常に忍耐力のいる作業なんですよね…無数のヒッツキムシと向き合う行為…そうやって自然に親しみ…主客合一です
『もののけ姫』以降の宮崎アニメのおおよその特徴は、大人の都合で子供、若年層が呪われ不幸になり、その子供たちは自己責任で呪いを解こうと悪戦苦闘する。そんな子供達を犠牲にして大人だけが利を得て、しかし子供達はそんな大人を恨まずに問題にもしないという構造になっている。”大人のしりぬぐいを若い世代にさせ、且つ大人たちを恨むな”と読み取れなくもないものがある。それが最も顕著なのはポニョか。竹中平蔵氏は若者に対して「みなさんには貧しくなる自由がある!」といい、上野千鶴子氏もまた将来ある若者らに対して「平等に貧しくなろう」という選択肢を提示する。宮崎氏も竹中氏も上野氏も、高度経済成長を知り、バブルも知り、日本が右肩上がりで成長していく恩恵を受けまくり、日本円で私財を蓄えている大人たちだろう。この3人は恐らく政治信条等はそれぞれ異なると思うが、子供、若者に対するスタンスは似ている。そんな宮崎氏は新たな映画を制作中で、どうも大正教養主義に活路を見出そうとしているようだが、その害悪を総括するのか、それとも。余り期待できそうにない。西洋近代主義の呪縛を解き放つ「日本」にたどり着けないで、更なる欺瞞と偽善で上書きしてしまうのではないか。「戦後日本を謳歌した大人たちよ、君たちはどう死ぬのか」と言いたいものだ。
養老先生は年齢を感じさせない頭脳明晰で素晴らしいと思います。
素晴らしいお方ですね🎵
令和四年一月三十一日「国の盛衰は子供がどれだけ体を動かしているか」そういうことですね。
養老先生が左利きだったとは
教育が揃えると言う意味があったとは
目で見て、触って、考える事を自然に行動させる事がモンテッソーリ教育のあり方なのですか?
先生に質問が在るのですが、ヒトの脳は外部から得たデータだけを用いて考えると思うのですが、全く未知の事を思いつくのは如何してですか?
多分人間にとって未知なだけで、自然の中に元々あったものだからじゃないですかね。数学の公式にしろ新たな発明にろ、気付かなかっただけで法則は太古の昔から自然界に存在してたはずです。
日本の景色は美しく繊細なところがあるけれどアメリカのヨセミテ国立公園のあの広大な山や景色を見たとき!ただ圧倒されて泣きました!そう言う経験が日本では出来ない!
大人とか老人になると何故か子供の頃の記憶がなくなってるね。子供の頃の心が何故消えるのかな?
その反対なのです。ふと、思い出すのです。幼少の頃ですね。人それぞれなのかなあーーいい思いでも悪いほうも。
そんな事ないですよ。覚えてますよ😀
皆さん、😌🌸💕
eスポーツはダメということ?大卒の件分かる。何かが出来ると思って採用してない
ゆとり教育なんていいますが…吾輩思うに教育にゆとりなんてありゃしないと思いますぞ。
私は病気の為に子供にかまってやれませんでしたけど❗️男の子なので剣道だけは私が進めて行かせましたが道場が閉鎖に成り後は子供の習いたいと言う物を習わせてビーバースカウトから高校生の終わり迄❗️行かせて学校🏫はラグビー🏉だけに行って私は子育て失敗組やと思うてますがなぁ〜〜親の点数は私の入院した20数年分失敗ですわ〜エエ加減な愚息に育ちましたわ〜😂👎公務員の父には成りたく無いと料理人に成りましたけど何でも屋の様な愚息‼️好き勝手な😵親の点数は私はあきませんなぁ〜〜私は後悔しきりの人生やけどソレも人生かと受け止めて居りますわ〜〜スカタン親子ですがなぁ〜〜旦那もねぇ〜おおきに🙇♀️
音が小さい!
文科省のダメさがその象徴かも、です。
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学校生活は大人になる準備ではない、子供時代も人生であるとお話されていたことがとても印象深く…大人の都合で子供に悪影響を及ぼしてはいけないと痛感しました。いつも子供の幸せを考えられるようにしたい。
番組に適したコメントかどうかは失礼致しますが、お許しください。
3歳から5歳くらいにかけての思い出が鮮明に残っています。
この時期 よくお爺さんと朝ごはんを食べたあと昼過ぎまで散歩をして 必ず途中、お寺の近くの田舎によくある、なんでも売ってるお店、そこでベンチに座りジュースとお菓子を買って休憩してました。そこで聞いた、お爺さんとの会話を、なんとなくではありますが鮮明に覚えています。その後祖父が亡くなり、しばらく自分と言う意識が遠くにあるような感覚で、その5歳ごろから今まで生きていたような気がします、正直言って記憶が薄れています、今思えば、それは、何か自分がもしくは自分達が何かを壊して来たから記憶が薄れて来たとも思える期間であったと考えられます。
それから何十年か後にお袋からお爺さんの話しを聞くようになった時、あの時、3歳から5歳にかけて、お爺さんが話してくれた事を思い出し合致し始めた(そこそこ形になった)瞬間から、今の自分が存在している事に改めて気が付いた気がします、その瞬間からまた、新たに自分というものが動き出した感覚が、以前先生の動画で見た、生まれて初めて自分というものに感じた瞬間にも似ている。
自分達が壊して来たものは何であるか?もしかして宝ものかもしれない物を壊したんだと言う事を 今からでも遅くないから拾い集めて、紛い物しかできないかも知れないが、しっかりと磨き直せば少々は使い勝手の良い歴史かもしれないと言う事を含めて つまりメンテナンスして行かないといけないところまで来てしまっている事を考えるところまで、行き着いてしまったのかも知れません、それは社会全体としても。
僕の好きな人の表現を借りれば
『森の中を一人歩いていて 一斉に鳥達が飛びたつ瞬間 ふと、我に戻る「発狂するか しないか、ヒヨドリの声一つ」』だと。
現代人は、代価を払って自然に触れ、ものを習得したりする昨今…頭では図れない物差しを持っている自然と楽しめる子供は天才、その芽を摘まないように環境を作ってあげたいものです。
②も楽しみにしております。
先生のお話はとても貴重ですね、有難いです。
養老先生の仰られる様に児童は「フリースクール」で十分だと思います(知恵を育むという意味合いから)。
今の学校教育・進学塾にせよ、その教えは読み書き算術によるものとしか思えず、何れ社会に巣立つ時は外交的会話が必要となりますが、それは何時しかオベンチャラ・嘘・偽り・おだて方、表面上の取り繕いが上手くなるだけのことであって、物事の本質・本筋を読み取る能力が衰えていくようにも思えます。
要は知識だけを詰め込むようで、その詰め込まれた知識を解析する能力が育たないということです。
「知識はあれど知恵出でず」
ということで御座いましょうか・・。
機械・ロボット的に育てるにはそれで宜しいのでしょうが・・😢
悲しい😢💦ものです
教育者自体がマニュアルでしか作動しない、出来ない機械のように思えてなりませんので・・
「想定外」が流行言葉となる世の中なんですねぇ~😥
“もういいかな”と言った子ども…先の希望が何も見えないなんてこころが病んでるように思えました。教育というより発育の段階の環境かな。
全て納得!万能の教育は無いし、物の様にベルトコンベヤに乗せてコースを進んで行くのではなく、その時その時に子供たちのこころに残る幸せを少しでも与えて行かれたら!!
1963年生まれですけど家の手伝いをしろ、と言われて育ちました。勉強しろ、と言われたのは一度だけ。
電気はありましたが、ガスも水道もない生活も経験しました。水は井戸、薪ではなく海沿いの松林にリヤカーをひいて松葉などを拾いに行き、五右衛門風呂を沸かしました。小1でした。ガスとお釜でご飯を炊くより、火を燃やす方が好きでしたし今もそうです。が、七輪で魚を焼いたら、この辺りでは叱られそうでできません。
農家出身の両親は子どもは労働力で、高校を出たら親の面倒をみるものだと無思考に思い込んでいました。
それでもまぁ単身上京し国立大を出ました。
楽しく楽に日々生きられるように考え中。
小さい子はハッピーでいればいいんですよ
不機嫌なら大人が満足させてやればいい。小さい子を満足させるなんて大人にはなんてことないんだから。本当にそう思います。
3歳でも5歳でも人生。大人になる途中ではない、肝に銘じて子供に向き合っていきたいです。
子供を勉強があるからというより色々雑用をやらせたら良い、家事も進んでやらせるのも子供が苛められても目標があって良い、子供のこころは笑わせる風刺等を身に付けさせる事も大人の役目。
先生は 知識豊富で素晴らしい。説得力もある。😃
子供は趣味ですら辿っていくと、環境因子である親の顔をうかがってますね。
「パパが喜んでくれるから」と親戚の子供から聴いた時は言葉に詰まりました。
その子は、パパの趣味とは別に昆虫から水生生物全般の飼育が好きなうえに
正確に個体と特徴を覚えており博学で自分の世界を持っているのですが、皆がこうマルチタスクではないでしょう。難しい時代です。
親の顔色をうかがうは、今に始まったわけでもないように思います。言葉にする昨今の子供の方が少し厄介かもしれませんね。
塾で受験勉強教えていた時、そこかしら矛盾を感じる。即席の知識を短時間で教える日本の教育を!
しちりんでご飯を炊くのがわたしの仕事でした。薪割り、火吹き竹、懐かしい。
養老先生のおっしゃるように、虫とりは身体運動の要素がいろいろ入っているからいいかも! 虫とりオリンピックとか。笑
書籍購入しましたね
何度も読んでいます
いつも、そうなんですが、、、どうしてそうなるのかよくわからないんですが(笑)先生の本は何度も読みたくなります。有難いです。
ワタシの場合…主にムシはムシでもヒッツキムシ専門でしたね
オナモミ、コセンダングサ、アレチヌスビトハギ…
今思えば…彼らと共に遊んでいたんだと思うんですよね…
全身ヒッツキムシに寄生された状態で家に帰って…
玄関で、服についたヒッツキムシを一つ一つ剥がすのが、
落ち着きのない子供には非常に忍耐力のいる作業なんですよね…
無数のヒッツキムシと向き合う行為…そうやって自然に親しみ…
主客合一です
『もののけ姫』以降の宮崎アニメのおおよその特徴は、大人の都合で子供、若年層が呪われ不幸になり、その子供たちは自己責任で呪いを解こうと悪戦苦闘する。そんな子供達を犠牲にして大人だけが利を得て、しかし子供達はそんな大人を恨まずに問題にもしないという構造になっている。”大人のしりぬぐいを若い世代にさせ、且つ大人たちを恨むな”と読み取れなくもないものがある。それが最も顕著なのはポニョか。
竹中平蔵氏は若者に対して「みなさんには貧しくなる自由がある!」といい、上野千鶴子氏もまた将来ある若者らに対して「平等に貧しくなろう」という選択肢を提示する。
宮崎氏も竹中氏も上野氏も、高度経済成長を知り、バブルも知り、日本が右肩上がりで成長していく恩恵を受けまくり、日本円で私財を蓄えている大人たちだろう。この3人は恐らく政治信条等はそれぞれ異なると思うが、子供、若者に対するスタンスは似ている。
そんな宮崎氏は新たな映画を制作中で、どうも大正教養主義に活路を見出そうとしているようだが、その害悪を総括するのか、それとも。余り期待できそうにない。
西洋近代主義の呪縛を解き放つ「日本」にたどり着けないで、更なる欺瞞と偽善で上書きしてしまうのではないか。
「戦後日本を謳歌した大人たちよ、君たちはどう死ぬのか」と言いたいものだ。
養老先生は年齢を感じさせない頭脳明晰で素晴らしいと思います。
素晴らしいお方ですね🎵
令和四年一月三十一日
「国の盛衰は子供がどれだけ体を動かしているか」そういうことですね。
養老先生が左利きだったとは
教育が揃えると言う意味があったとは
目で見て、触って、考える事を自然に行動させる事がモンテッソーリ教育のあり方なのですか?
先生に質問が在るのですが、ヒトの脳は外部から得たデータだけを用いて考えると思うのですが、全く未知の事を思いつくのは如何してですか?
多分人間にとって未知なだけで、自然の中に元々あったものだからじゃないですかね。数学の公式にしろ新たな発明にろ、気付かなかっただけで法則は太古の昔から自然界に存在してたはずです。
日本の景色は美しく繊細なところがあるけれどアメリカのヨセミテ国立公園のあの広大な山や景色を見たとき!ただ圧倒されて泣きました!そう言う経験が日本では出来ない!
大人とか老人になると何故か子供の頃の記憶がなくなってるね。
子供の頃の心が何故消えるのかな?
その反対なのです。ふと、思い出すのです。幼少の頃ですね。人それぞれなのかなあーーいい思いでも悪いほうも。
そんな事ないですよ。覚えてますよ😀
皆さん、😌🌸💕
eスポーツはダメということ?
大卒の件分かる。何かが出来ると思って採用してない
ゆとり教育なんていいますが…
吾輩思うに
教育にゆとりなんてありゃしないと思いますぞ。
私は病気の為に子供にかまってやれませんでしたけど❗️男の子なので
剣道だけは私が進めて行かせましたが道場が閉鎖に成り後は子供の
習いたいと言う物を習わせて
ビーバースカウトから高校生の終わり迄❗️行かせて学校🏫はラグビー🏉だけに行って私は子育て失敗組やと思うてますがなぁ〜〜親の点数は
私の入院した20数年分失敗ですわ〜エエ加減な愚息に育ちましたわ〜😂👎公務員の父には成りたく無いと料理人に成りましたけど
何でも屋の様な愚息‼️好き勝手な
😵親の点数は私はあきませんなぁ〜〜私は後悔しきりの人生やけど
ソレも人生かと受け止めて居りますわ〜〜スカタン親子ですがなぁ〜〜
旦那もねぇ〜
おおきに🙇♀️
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文科省のダメさがその象徴かも、です。
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